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最高裁判所第二小法廷 平成7年(行ツ)74号 判決 1996年3月08日

上告人

神戸市立工業高等専門学校長

松本安夫

右訴訟代理人弁護士

俵正市

重宗次郎

苅野年彦

坂口行洋

寺内則雄

小川洋一

被上告人

小林太郎

右訴訟代理人弁護士

吉川正昭

野口勇

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人俵正市、同重宗次郎、同苅野年彦、同坂口洋、同寺内則雄、同小川洋一の上告理由について

一  原審の適法に確定した事実関係の概要は、次のとおりである。

1  被上告人は、平成二年四月に神戸市立工業高等専門学校(以下「神戸高専」という。)に入学した者である。

2  高等専門学校においては学年制が採られており、学生は各学年の修了の認定があって初めて上級学年に進級することができる。神戸高専の学業成績評価及び進級並びに卒業の認定に関する規程(以下「進級等規程」という。)によれば、進級の認定を受けるためには、修得しなければならない科目全部について不認定のないことが必要であるが、ある科目の学業成績が一〇〇点法で評価して五五点未満であれば、その科目は不認定となる。学業成績は、科目担当教員が学習態度と試験成績を総合して前期、後期の各学期末に評価し、学年成績は、原則として、各学期末の成績を総合して行うこととされている。また、進級等規程によれば、休学による場合のほか、学生は連続して二回原級にとどまることはできず、神戸市立工業高等専門学校学則(昭和三八年神戸市教育委員会規則第一〇号。以下「学則」という。)及び退学に関する内規(以下「退学内規」という。)では、校長は、連続して二回進級することができなかった学生に対し、退学を命ずることができることとされている。

3  神戸高専では、保健体育が全学年の必修科目とされていたが、平成二年度からは、第一学年の体育科目の授業の種目として剣道が採用された。剣道の授業は、前期又は後期のいずれかにおいて履修すべきものとされ、その学期の体育科目の配点一〇〇点のうち七〇点、すなわち、第一学年の体育科目の点数一〇〇点のうち三五点が配点された。

4  被上告人は、両親が、聖書に固く従うという信仰を持つキリスト教信者である「エホバの証人」であったこともあって、自らも「エホバの証人」となった。被上告人は、その教義に従い、格技である剣道の実技に参加することは自己の宗教的信条と根本的に相いれないとの信念の下に、神戸高専入学直後で剣道の授業が開始される前の平成二年四月下旬、他の「エホバの証人」である学生と共に、四名の体育担当教員らに対し、宗教上の理由で剣道実技に参加することができないことを説明し、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨申し入れたが、右教員らは、これを即座に拒否した。被上告人は、実際に剣道の授業が行われるまでに同趣旨の申入れを繰り返したが、体育担当教員からは剣道実技をしないのであれば欠席扱いにすると言われた。上告人は、被上告人らが剣道実技への参加ができないとの申出をしていることを知って、同月下旬、体育担当教員らと協議をし、これらの学生に対して剣道実技に代わる代替措置を採らないことを決めた。被上告人は、同月末ころから開始された剣道の授業では、服装を替え、サーキットトレーニング、講義、準備体操には参加したが、剣道実技には参加せず、その間、道場の隅で正座をし、レポートを作成するために授業の内容を記録していた。被上告人は、授業の後、右記録に基づきレポートを作成して、次の授業が行われるより前の日に体育担当教員に提出しようとしたが、その受領を拒否された。

5  体育担当教員又は上告人は、被上告人ら剣道実技に参加しない学生やその保護者に対し、剣道実技に参加するよう説得を試み、保護者に対して、剣道実技に参加しなければ留年することは必至であること、代替措置は採らないこと等の神戸高専側の方針を説明した。保護者からは代替措置を採って欲しい旨の陳情があったが、神戸高専の回答は、代替措置は採らないというものであった。その間、上告人と体育担当教員等関係者は、協議して、剣道実技への不参加者に対する特別救済措置として剣道実技の補講を行うこととし、二回にわたって、学生又は保護者に参加を勧めたが、被上告人はこれに参加しなかった。その結果、体育担当教員は、被上告人の剣道実技の履修に関しては欠席扱いとし、剣道種目については準備体操を行った点のみを五点(学年成績でいえば2.5点)と評価し、第一学年に被上告人が履修した他の体育種目の評価と総合して被上告人の体育科目を四二点と評価した。第一次進級認定会議で、剣道実技に参加しない被上告人外五名の学生について、体育の成績を認定することができないとされ、これらの学生に対し剣道実技の補講を行うことが決められたが、被上告人外四名はこれに参加しなかった。そのため、平成三年三月二三日開催の第二次進級認定会議において、同人らは進級不認定とされ、上告人は、同月二五日、被上告人につき第二学年に進級させない旨の原級留置処分をし、被上告人及び保護者に対してこれを告知した。

6  平成三年度においても、被上告人の態度は前年度と同様であり、学校の対応も同様であったため、被上告人の体育科目の評価は総合して四八点とされ、剣道実技の補講にも参加しなかった被上告人は、平成四年三月二三日開催の平成三年度第二次進級認定会議において外四名の学生と共に進級不認定とされ、上告人は、被上告人に対する再度の原級留置処分を決定した。また、同日、表彰懲戒委員会が開催され、被上告人外一名について退学の措置を採ることが相当と決定され、上告人は、自主退学をしなかった被上告人に対し、二回連続して原級に留め置かれたことから学則三一条に定める退学事由である「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に該当するとの判断の下に、同月二七日、右原級留置処分を前提とする退学処分を告知した。

7  被上告人が、剣道以外の体育種目の受講に特に不熱心であったとは認められない。また、被上告人の体育以外の成績は優秀であり、授業態度も真しなものであった。

なお、被上告人のような学生に対し、レポートの提出又は他の運動をさせる代替措置を採用している高等専門学校もある。

二  高等専門学校の校長が学生に対し原級留置処分又は退学処分を行うかどうかの判断は、校長の合理的な教育的裁量にゆだねられるべきものであり、裁判所がその処分の適否を審査するに当たっては、校長と同一の立場に立って当該処分をすべきであったかどうか等について判断し、その結果と当該処分とを比較してその適否、軽重等を論ずべきものではなく、校長の裁量権の行使としての処分が、全く事実の基礎を欠くか又は社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超え又は裁量権を濫用してされたと認められる場合に限り、違法であると判断すべきものである(最高裁昭和二八年(オ)第五二五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一四六三頁、最高裁昭和二八年(オ)第七四五号同二九年七月三〇日第三小法廷判決・民集八巻七号一五〇一頁、最高裁昭和四二年(行ツ)第五九号同四九年七月一九日第三小法廷判決・民集二八巻五号七九〇頁、最高裁昭和四七年(行ツ)第五二号同五二年一二月二〇日第三小法廷判決・民集三一巻七号一一〇一頁参照)。しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則一三条三項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである(前掲昭和四九年七月一九日第三小法廷判決参照)。また、原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、神戸高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。そして、前記事実関係の下においては、以下に説示するとおり、本件各処分は、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の範囲を超えた違法なものといわざるを得ない。

1  公教育の教育課程において、学年に応じた一定の重要な知識、能力等を学生に共通に修得させることが必要であることは、教育水準の確保等の要請から、否定することができず、保健体育科目の履修もその例外ではない。しかし、高等専門学校においては、剣道実技の履修が必須のものとまではいい難く、体育科目による教育目的の達成は、他の体育種目の履修などの代替的方法によってこれを行うことも性質上可能というべきである。

2  他方、前記事実関係によれば、被上告人が剣道実技への参加を拒否する理由は、被上告人の信仰の核心部分と密接に関連する真しなものであった。被上告人は、他の体育種目の履修は拒否しておらず、特に不熱心でもなかったが、剣道種目の点数として三五点中のわずか2.5点しか与えられなかったため、他の種目の履修のみで体育科目の合格点を取ることは著しく困難であったと認められる。したがって、被上告人は、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否の結果として、他の科目では成績優秀であったにもかかわらず、原級留置、退学という事態に追い込まれたものというべきであり、その不利益が極めて大きいことも明らかである。また、本件各処分は、その内容それ自体において被上告人に信仰上の教義に反する行動を命じたものではなく、その意味では、被上告人の信教の自由を直接的に制約するものとはいえないが、しかし、被上告人がそれらによる重大な不利益を避けるためには剣道実技の履修という自己の信仰上の教義に反する行動を採ることを余儀なくさせられるという性質を有するものであったことは明白である。

上告人の採った措置が、信仰の自由や宗教的行為に対する制約を特に目的とするものではなく、教育内容の設定及びその履修に関する評価方法についての一般的な定めに従ったものであるとしても、本件各処分が右のとおりの性質を有するものであった以上、上告人は、前記裁量権の行使に当たり、当然そのことに相応の考慮を払う必要があったというべきである。また、被上告人が、自らの自由意思により、必修である体育科目の種目として剣道の授業を採用している学校を選択したことを理由に、先にみたような著しい不利益を被上告人に与えることが当然に許容されることになるものでもない。

3  被上告人は、レポート提出等の代替措置を認めて欲しい旨繰り返し申し入れていたのであって、剣道実技を履修しないまま直ちに履修したと同様の評価を受けることを求めていたものではない。これに対し、神戸高専においては、被上告人ら「エホバの証人」である学生が、信仰上の理由から格技の授業を拒否する旨の申出をするや否や、剣道実技の履修拒否は認めず、代替措置は採らないことを明言し、被上告人及び保護者からの代替措置を採って欲しいとの要求も一切拒否し、剣道実技の補講を受けることのみを説得したというのである。本件各処分の前示の性質にかんがみれば、本件各処分に至るまでに何らかの代替措置を採ることの是非、その方法、態様等について十分に考慮するべきであったということができるが、本件においてそれがされていたとは到底いうことができない。

所論は、神戸高専においては代替措置を採るにつき実際的な障害があったという。しかし、信仰上の理由に基づく格技の履修拒否に対して代替措置を採っている学校も現にあるというのであり、他の学生に不公平感を生じさせないような適切な方法、態様による代替措置を採ることは可能であると考えられる。また、履修拒否が信仰上の理由に基づくものかどうかは外形的事情の調査によって容易に明らかになるであろうし、信仰上の理由に仮託して履修拒否をしようという者が多数に上るとも考え難いところである。さらに、代替措置を採ることによって、神戸高専における教育秩序を維持することができないとか、学校全体の運営に看過することができない重大な支障を生ずるおそれがあったとは認められないとした原審の認定判断も是認することができる。そうすると、代替措置を採ることが実際上不可能であったということはできない。

所論は、代替措置を採ることは憲法二〇条三項に違反するとも主張するが、信仰上の真しな理由から剣道実技に参加することができない学生に対し、代替措置として、例えば、他の体育実技の履修、レポートの提出等を求めた上で、その成果に応じた評価をすることが、その目的において宗教的意義を有し、特定の宗教を援助、助長、促進する効果を有するものということはできず、他の宗教者又は無宗教者に圧迫、干渉を加える効果があるともいえないのであって、およそ代替措置を採ることが、その方法、態様のいかんを問わず、憲法二〇条三項に違反するということができないことは明らかである。また、公立学校において、学生の信仰を調査せん索し、宗教を序列化して別段の取扱いをすることは許されないものであるが、学生が信仰を理由に剣道実技の履修を拒否する場合に、学校が、その理由の当否を判断するため、単なる怠学のための口実であるか、当事者の説明する宗教上の信条と履修拒否との合理的関連性が認められるかどうかを確認する程度の調査をすることが公教育の宗教的中立性に反するとはいえないものと解される。これらのことは、最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁の趣旨に徴して明らかである。

4 以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。

右と同旨の原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。その余の違憲の主張は、その実質において、原判決の右判断における法令の解釈適用の誤りをいうものにすぎない。また、右の判断は、所論引用の各判例に抵触するものではない。論旨は採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官河合伸一 裁判官大西勝也 裁判官根岸重治 裁判官福田博)

上告代理人俵正市、同重宗次郎、同苅野年彦、同坂口行洋、同寺内則雄、同小川洋一の上告理由

第一 上告理由の要旨

一 原審判決は、本件各処分の適否は、神戸市立工業高等専門学校における信仰上の理由による剣道実技の受講拒否について、代替措置をとるべきであったかどうかに収斂されるとした上、信教の自由を理由に教育基本法一条(教育の目的)、二条(教育の方針)を挙げて上告人に代替措置義務ありとし、代替措置をとることについて法的にも実際的にも障害が存しなかったと判断し、代替措置をとらないまま評価された体育科目の不認定を基になされた本件各処分は裁量権を著しく逸脱し、違法であるとする。

二 しかし、原判決は信教の自由について憲法二〇条一項、三項の解釈を誤り、これを根拠に上告人に代替措置義務ありとする判断は、憲法に右条項のほか教育基本法一条、二条の解釈を誤り、被上告人が剣道実技の課せられることを承知しながら、自由な意思で神戸高専を選択・入学許可されたことを無視して、自己の自由意思による基本的人権の制限についての最高裁判例に反し、行政庁である上告人に法律上根拠なくして代替措置義務ありとするものであって、また、代替措置をとるのに法的に障害がなかったとの判断は、公教育における宗教的中立についての憲法二〇条三項、教育基本法九条二項、公教育における平等取扱いについての憲法一四条一項、教育基本法三条一項の解釈を誤り、実際的障害が存しなかったとの判断は、理由に齟齬があり、裁量権の逸脱の判断は、行政庁の行う懲戒処分の裁量性についての最高裁判例と反する判断で、いずれも判決に影響を及ぼすことが明らかである。

第二 原審判断の要約

一 原判決は、まず、本件各処分が適法であったか否かに関する争点は、神戸高専において、被上告人に対し、代替措置をとるべきであったかどうかに収斂されるとする。

そして、右のように争点を集約した上で、本件各処分を違法とする原審判断の理由の要旨は、次のとおりである。

1 上告人は、信仰上の理由で剣道実技の授業に参加できないという被上告人に対し、その教育的裁量を適切に行使して、右授業に代わる代替措置をとる必要がある。

2 代替措置をとることにおいて、法的にも実際上も障害があったとはいえない。

3 上告人は代替措置を全く講じないまま、評価された控訴人の体育科目の不認定を基に、本件各処分を行った。

4 よって右各処分は、処分理由及び処分の必要性の判定において行使されるべき裁量権を著しく逸脱している(「第七、まとめ」)。

二 次に、代替措置を講ずることの必要性についての原審の判断をみてみる(「第六、二」)。

原判決は、代替措置を講ずることの「必要性」と、ことさらに緩やかな表現をしているが、右「必要性」とは、法的意味内容としては、行政庁たる上告人に対して、代替措置を講ずる「義務」があると断定したことに他ならない。

原判決が、右代替措置義務の根拠として挙げる理由は、次のとおりである。

1 代替措置をとらなかったことが、信教の自由の制限であることを前提とし、その制限の適否判断の基準を、代替措置をとらなかったことによって保持しうる公共的利益と剣道実技の受講を拒否したことによって受けなければならなかった不利益との比較考量におく。

2 剣道実技の修得は、なにものにも代え難い必要不可欠なものであって、代替措置では体育の教育効果をあげることができないとまでいうことはできない。

3 神戸高専は、神戸市が設置した公の教育施設であって、広く授業その他施設の利用について門戸を開放しているのであるから、設置目的に沿って可能な限り、施設利用について十分な機会を与えるための教育的配慮をする義務があり、学生がその自由意思によって入学してくる義務教育でないからといって、教育的配慮をする必要がないということはできない。

4 そして、代替措置をとることについて法的、実際的障害がない限り、その教育的配慮に基づき、剣道実技に代わる代替措置をとるべきであったと結論した上、代替措置をとることについての法的、実際的障害の有無を論じているのである。

三 原判決が代替措置をとることについて、法的、実際的障害が存しないと判断した理由は次のとおりである(「第六、三」)。

1 代替措置をとることは、宗教上の理由による控訴人の剣道実技の授業への不参加を、結果として、承認することを前提とするものである。

2 しかし、代替措置について裁量が適切に行使されれば、控訴人に対し特に有利な地位を付与することにはならず、代替措置が宗教的色彩を帯びるものでないことはもとより、控訴人が信奉する宗教を援助、助長または促進する効果あるいは他の宗教の信仰者や無宗教者に対する圧迫や干渉の効果を生じる可能性はない。

3 受講拒否理由が怠学のための口実であるか宗教上の信条によるものかの判断に必要な調査をすることは、公教育の宗教的中立性に反するとはいえない。

4 それ故、代替措置をとることが、憲法二〇条三項、教育基本法九条二項の規定あるいはその趣旨に反し又は憲法一四条に反するとはいえず、法的障害があったとはいえない。

5 上告人がどのような内容の代替措置を採用するかは、その裁量によるものであるから、特定の代替措置を前提として、それが障害となるものであったか否かを判断することはできないから、予算、教員数から代替措置を講ずることに実際上の障害があったということはできない。

第三 代替措置義務ありとする誤り

一 比較考量論の基本的誤り

1 原判決は、代替措置をとる「必要性」と表現するが、法的には、それが行政庁たる上告人に、「代替措置義務」ありとするものであることは、明白である。

2 原判決の論旨は、一方、代替措置をとらないことを信教の自由の制限として把え、他方、本件各処分を信教の自由を制限する不利益として把え、その上で、代替措置をとらなかったことによって保持しうる公共的利益と被上告人の本件各処分との軽重を比較考慮した上、上告人の代替措置義務違反を違法とするものである。

3 しかし、原判決の論旨は、上告人の不作為を信教の自由の制限として把えることの前提において誤っている。

上告人は、被上告人の信教の自由を制限したことは全くない。

被上告人は、上告人の定めた教育課程の一部である剣道実技を受講せず、その結果、体育の他の種目の評点と合わせても体育の評定が合格点に達しなかったので、上告人は、上告人の定めた学内規定に基づき、原級留置の措置と退学処分を行ったものである。

被上告人は信教の自由を有しており、その自由な信教に基づいて剣道実技の受講を拒否することも自由である。被上告人の信教の自由については、上告人は一切関与せず、剣道実技の受講上拒否が被上告人の信教の自由に基づくものであるか否かは上告人の関知しないところである。

上告人の行ったことは、必修科目を受講しなかった学生に対し、学校教育法その他の関係法令及びこれに基づく学則等学内規則に基づいて、科目の成績評定を行い、合格点に達しなかった者の単位を不認定とし、この結果被上告人が、在学関係を限度とする一定の不利益処分を受けたものであって、上告人は信教の自由を制限する意思はなく、また結果としても、被上告人は、自己の信教の自由を保持して、剣道実技の受講拒否を貫徹しているのであるから、上告人が信教の自由を制限したことは全くない。仮に、被上告人が剣道実技の受講拒否によって何らかの不利益を受けたとしても、それは憲法の保障する信教の自由の埒外のことである。

4 また、論旨は、代替措置についての不作為を、直接本件各処分に結びつけた、その前提においても誤っている。

上告人の不作為と、本件各処分には、因果関係が皆無ではないかも知れないが、法的に意味のある相当因果関係は存しない。

すなわち、上告人は、被上告人が剣道実技の受講を拒否した一事をもって、体育の単位を不認定としたものではない。体育の他の種目についても評価し、さらに剣道実技についても、準備体操に参加したことをも評価し、それらの総合評定の点数が所定の合格点に達しなかったので単位不認定としたものである。

したがって原判決認定のとおり、一五名の剣道実技拒否者のうち一〇名が体育の単位の認定を受けており、不認定となった五名のうち一名は被上告人であり、一名は自主退学しており、他の三名は次年度において剣道以外の種目において努力し体育の単位の認定を受けている。体育において高得点を取るために必要な技能水準は、到達可能なものであり、プロなみの運動能力が必要なわけではない。

被上告人が体育の単位不認定となったのは、被上告人の体育の評点が全体として低かった結果によるものであって、このような評価をどのように行うかは、原判決もいうとおり、上告人の裁量に任されているものである。

上告人は、他の一三人の受講拒否者と同様、努力によって、体育の単位の認定を受ける可能性があったのであるから、上告人の不作為を、直接本件各処分に結びつけて論ずることは誤りである。

5 原判決の論旨とする比較考量論は、質的に同一のものについてのみ可能な議論である。本件においては、比較考量すべき両者が異質なものであるから、両者を考量することは論理的に不適切である。

被上告人が退学処分によって受ける不利益が重大なものであることは肯認できるが、それは、本人の自由な意思による学校選択と本人の信教の自由によって体育評点の低下を招致した結果であって、他方上告人は、在学関係を規律する法律関係に基いて本件各処分をしたものであるから、本人の信教の自由と、上告人の行った教育上の措置は異質のものであり、利益考量を論ずるのは、論理上誤りである。

また、若し利益較量を論ずるならば、被上告人が受講拒否によって得る個人的利益と、大多数の学生が受ける集団教育における規律維持上の悪影響及び学習効果の低下という不利益とを、比較較量すべきものであって、最大多数の最大幸福という民主主義の原理からすれば、大多数の学生の利益を優先すべきことになる。

6(一) 原判決は、本件各処分を招致した直接の原因が、自己の自由意思による学校選択と自己の信教の自由にあることを看過し、基本的人権も自己の自由意思によって制限を受けるとする、最高裁判決に反する憲法解釈を行っている。

高等専門学校は、学生の自由意思により、学校選択が行われるものであるところ、原判決は、学生は剣道実技の授業のあることを承知の上で、自由意思によって入学してくるものではあるが、義務教育でないからといって、教育的配慮の必要がないとはいえないとして、代替措置義務があるとする。

しかし、右は憲法の自由権的基本権についての最高裁判決に反する解釈である。

(二) 最高裁判決は、十勝女子商業事件において、「憲法で保障された、いわゆる基本的人権も絶対のものではなく、自己の自由意思に基く特別な公法関係上または私法関係上の義務によって制限を受けるものであることは当裁判所の判例(昭和二五年(ク)第一四一号、同二六年四月四日大法廷判決参照。判例集五巻五号二一五頁)の趣旨に徴して明らかである。」(最高裁二小昭和二五年(オ)第七号、昭和二七年二月二二日判決、最高民集六巻二号)と判示している。

(三) 被上告人は、神戸高専において剣道実技の授業のあることを承知の上、自己の自由意思に基いて同校に願書を提出して同校を受験し、校長の入学許可によって、公立学校の在学関係という特別な公法関係が設定され、「学則その他規則を守る」との誓約書(乙第六号証の三)を提出しているのである。

(四) したがって、被上告人が、学校所定の教育課程である剣道実技を受講しないため、在学関係の範囲内で不利益を受けたことをもって、信教の自由を保障した憲法二〇条一項の規定や、教育を受ける権利を保障した憲法二六条一項の規定及びこれを根拠規定とする教育基本法一、二条の規定に違反するとすることは該らない。

これらの規定を根拠に、代替措置義務ありとする原審の解釈は、最高裁判決に反するものといわなければならない。

7 さらに、被上告人に対して代替措置をとることが、憲法二〇条三項、教育基本法九条二項に由来する公教育の宗教的中立性に反し、憲法一四条一項、教育基本法三条一項に由来する公教育における平等取扱の原則に反するものであることは、後に、「第三 代替措置の法的障害」において述べるとおりである。

8 原判決は、剣道実技の修得がなにものにも代え難い必要不可欠なものではないといい、これも比較考量論と関係するとみられる。

しかし、企業の職員に対する担当部門の実務教育等とは異なり、高等学校、高等専門学校、大学等の学校教育においては、「なにものにも代え難い必要不可欠な」科目などは存しないし、各科目は全体のカリキュラムの中で捉えるべきであって、そのうちの一科目のみを取りだして議論すべきではないのである。原判決の立論は、学校教育における教育課程編成の意義や科目、種目の選定についての無理解を示す立論以外の何ものでもない。

二 教育的配慮義務について

1 原判決は、神戸高専が、神戸市の設置した公の教育施設であって施設の利用について門戸を開放していることを理由に、施設利用について十分な機会を与えるための教育的配慮をする義務があることを、代替措置義務の根拠の一つとする。

2 しかし、教育的配慮の義務というのは、公の施設の管理・運営についての抽象的な理念にとどまるものである。

3 そもそも法的判断は、具体的事実について、具体的な法令の適用を論ずるものでなければならない。

しかるに、原審の判断は、抽象的な「公の教育施設」を前提として、学校教育法一条に定める「高等専門学校」として具体的存在である神戸高専の在学関係を、論ずる誤りを犯しているものである。

4 神戸高専は、学校教育法一条に定める高等専門学校であり、その利用関係たる在学関係は、学校教育法及び関係法令により羈束され、これらの法令の下に制定された学則その他の学内諸規則と、学校管理機関である教育委員会(地方行政の組織及び運営に関する法律二三条一号ほか)及び校長(学校教育法七〇条の七第三項)の行政行為によって、具体的内容が定まるものである。

5 そして、公の施設の管理・運営の具体的方法は、法令及び法令に基づく管理機関の判断に委ねられている。原審の、

「どのような内容の代替措置を援用するかは、その裁量によるものであって、当裁判所において、特定の代替措置を前提としてそれが障害となるものであったか否かを判断することはできない」

という論旨によれば、代替措置の方法以前に、代替措置をとるか否かの判断も、公の施設の管理機関である上告人の裁量に委ねられているといわなければならない。

6 ちなみに、上告人は、被上告人の剣道実技拒否の一事をもって単位不認定とした訳ではなく、教育的配慮を尽くしたことは、「第三、一、4」で述べたとおりである。

三 公の施設の利用について

1 原判決は、教育基本法一条及び二条を挙げて、公の教育施設は広く施設の利用について門戸を開放しているという。

2 しかし、教育基本法の右各規定は、教育の目的と、教育の方針という、教育の理念に関する規定であって、具体的な在学関係に関する規定でないことはいうまでもない。

また、公の教育施設が広く門戸を開放しているというのも、それが具体的な法令の羅束の下での開放であることを無視するものである。

3 義務教育諸学校にあっては、児童・生徒の住所によって利用できる学校が特定され、学校選択の自由はない。

また、そこで行われる教育内容も、学校教育法その他の関係法令及び学習指導要領で定められた教育課程によって羈束され、学則に従い、校長の指揮監督する教員(学校教育法二八条三項ほか)によって、実施される。

高等学校や高等専門学校にあっては、学校選択の自由はあるが、入学許可は、入学者の選抜に基づいて、校長が行い(学校教育法施行規則五九条一項、七二条の六)入学後の教育内容の羈束、教育の実施については、義務教育諸学校と同様の関係にある。

高等専門学校にあっては、利用者に学校選択の自由はあるが、入学許可のない限り、学校の利用は許されず、教育内容も、学則その他の学内規定に基づき、学校管理機関が定めるものであって、広く門戸を開放しているという抽象的な理念をもって、右具体的法律関係を論ずることは誤りである。

四 在学関係

1 学校を利用する法律関係は、私立学校にあっては在学契約であり、その内容は、学校教育法その他の関係法令及びそれに基づいて学校設置者が定めた教育課程並びに学則その他の学内規定に従って、校長及びその指揮監督を受ける教員(学校教育法二八条三項ほか)が教育を行い、学生・生徒は、右学則その他の学内規定に従って誠実に教育を受けるという、一種の附合契約である。学生・生徒は学校選択の自由を有し、学校は入学選抜を行うところ、学生・生徒の側からみれば、所与の教育課程と所与の学則等学内諸規定を遵守して教育を受けることを受諾するか否かを、自由意思によって決定する附合契約である。

2 義務教育諸学校以外の公立学校の利用関係は、契約ではなく、右在学契約に類似した在学関係として把えることができ、右在学関係は、附合契約類似の法律関係である。

すなわち、学生・生徒は、学校選択の自由を有し、学校は入学選抜を行うところ、学生・生徒の側からみれば、所与の教育課程と所与の学則等学内諸規程を遵守して教育を受けることを受諾するか否かを、自由意思によって決定する、附合的法律関係である。そして、富山大学事件(最高裁三小昭和四六年(行ツ)第五二号、昭和五二年三月一五日判決民集三一巻二号二三四頁)において認められたように、学校は学生・生徒に対し、設置目的を達成するために必要な事項については、学則等によりこれを規定し、実施することのできる自律的、包括的な権能を有する特殊な部分社会を形成しており、そこにおいては、学校の教育的裁量が一般社会に比して、より尊重されるべき関係にある。

右の基本的法律関係を、門戸開放とか、施設利用について十分な機会を与えるためとかいった、抽象的教育理念をもってこれを恣しいままに解釈し、法律上根拠のない代替措置義務ありとすることは、法律判断の齟齬も甚だしいものである。

五 教員の説得と生徒の努力義務

教員が剣道の受講につき説得をしたことと学生が努力をする義務を負っていることは、教育において非常に重要な要素であり、代替措置義務ありとする原判決はこの重要な点を全く無視しており、初めに代替措置ありきとの考え方である。平成二年度においては、九名の剣道受講拒否者のうち四名が説得に応じて受講し、平成三年度の一五名の受講拒否者のうち一三名の生徒が他の種目において努力をして、単位を認定されている。このことからしても、代替措置義務の存しないことは明白である。

第四 代替措置をとることについての法的障害

一1 原判決は、代替措置をとることは、宗教上の理由による被上告人の剣道実技への不参加を、結果として承認することとなる、と正しく判断しながら、代替措置について裁量が適切に行使されれば、上告人に対し特に有利な地位を付与することにはならないから、憲法二〇条三項、教育基本法九条二項に違反しないとする。

2 しかし、原判決がいうところの適切な代替措置がどのようなものであるかを判示することなく、公立学校において、宗教上の理由による受講拒否を承認し、それによって本来なら評点が低下すべきところを、代替措置をもって救済することが、上告人に対し有利な地位を付与することにならないとする判断は、理由不備の判断のそしりを免れない。

二 また、宗教上の理由による受講拒否を承認し、拒否部分が評価されないため本来なら評点がそれだけ低下する生徒に対し、代替措置をとって、不利益を救済することが、信教を理由とする有利な扱いであることは、何人にも明らかであって、このことは、本件に関する次の各裁判が一致して認めるとともに、これに反する裁判のないことからも自明の理であり、これに反する原審の判断は、経験則に反するものといわなければならない。

神戸地裁平成三年(行ク)九号同年五月一六日決定(判タ七七五号七五頁)

大阪高裁平成三年(行ス)三号同年八月二日決定(判タ七六四号二七九頁)

神戸地裁平成四年(行ク)三号同年六月一二日決定(判時一四三八号五〇頁)

大阪高裁平成四年(行ス)六号同年一〇月一五日決定(判時一四四六号四九頁)

神戸地裁平成三年(行ウ)一三号平成五年二月二二日判決(判タ八一三号一三頁)

神戸地裁平成四年(行ウ)二一号平成五年二月二二日判決

三1 原判決は、代替措置をとることに法的障害がない理由を目的効果論をもって論ずる。しかし、津地鎮祭事件で示された右最高裁判決の論旨は、公の財産の支出についての事案に関するものである。

2 本件で問題となっているのは、公教育の宗教的中立性(憲法二〇条三項、教育基本法九条二項)と公教育における平等取扱い(憲法一四条一項、教育基本法三条一項)である。このような観点からみるとき、学校管理者の定めた教育課程を変更して、宗教上の理由により特定の生徒を特別に扱うことは、公教育の宗教的中立性と公教育における平等取扱いを損うものであることは、何人にも明らかであり、これは前掲各裁判の一致することからも知りうるところである。

3 仮に、目的効果論を適用しても、特定の宗教を信仰する者に代替措置をとることによって履修を免除することは、宗教に対する便宜供与であって、そみ目的において宗教的意義を持つことは明白であり、効果の点についても、履修を免除することによって特定の宗教の信仰を援助・助長することになることもまた明らかであり、代替措置をとることは、政教分離原則に反することになる。

四1 原判決はまた、十分な経験を有する教員であれば、拒否理由が怠学のための口実であるか否かの調査の容易であることから、その程度の調査の必要性が公教育の宗教的中立性を害することはないとする。

2 しかし、教員のすべてが十分な経験を有する者ではないことも、また、拒否理由が怠学のための口実とされるおそれのあることも、いずれも経験則上明らかな事実である。

3 そして、問題は、調査の難易ではなく、学校教育を実施する責任者としては、どの程度であれ、受講拒否の理由の調査をする必要性が存することにあり、原判決判示の調査、すなわち調査の結果拒否理由が宗教的理由であるときは、代替措置をとることを前提とする、調査の必要性が存するということにある。

宗教的理由があるときは、代替措置を講ずることを前提とした、拒否理由の調査が、公教育の宗教的中立性に反することは自明の理である。

五 以上のことから、原判決が憲法二〇条三項、教育基本法九条二項、憲法一四条一項、及び教育基本法三条一項の解釈を誤ったものであることは明白である。

第五 代替措置をとることについての実際的障害

一1 原判決は、代替措置をとることについて実際的障害の存しない理由として、上告人がどのような内容の代替措置を採用するかは、その裁量によるものであるから、特定の代替措置を前提として、それが障害となるものであったか否かを判断することはできないとする。

2 この論は、代替措置の種類についての裁量性の前に、代替措置を講ずるか否かについて裁量性が存することを見落とした論である。

3 そして、原判決のいうように、いかなる代替措置を採用するかは、上告人の裁量に委ねられているというのであれば上告人の採用する代替措置によっては、予算、教員数、施設・設備等の面から障害のありうることは何人にも首肯しうるところである。

4 代替措置の実際的障害の有無の判断は、法的根拠のある義務ではなく、法的根拠のない代替措置義務を前提として行うものである以上、実際的障害がいかなる意味においても存在しないことを、判決において進んで判示すべきものであって、これを欠いた右のような立論は、理由不備の違法があるといわなければならない。

二1 代替措置をとることについて、実際的障害が存しないという原審の判断は、学生規律維持上の悪影響及び学生構成上の悪影響を無視したものである。

2 身体の故障以外の理由で、必修科目である体育実技の受講拒否を認めることは、学生の規律維持と学習意欲に悪影響を及ぼすおそれのあることは明らかである。

このことは、多数受講拒否者が、後にレポートを出すからとして、学生の剣道実技を見学している状況を想像すれば明らかである。剣道実技を学ぶ学生は、気落ちがして学習意欲をそがれ、指導教員も指導意欲を喪失する結果となる。

3 剣道において代替措置を認めれば、体育の他の種目において、あるいは他の科目において受講を拒否する者が現れ、代替措置を要求することになることは、経験則上明らかであり、現に世界史、生物、家庭科実習等につきエホバの証人の信者が受講を拒否していることが報道されており(乙一六号証)、このような事態になると、正常な学校運営ができないことは明らかである。

4 学校教育を教育者と被教育者という関係からみれば、教育者に被教育者に対する優越的地位を認めて始めて、教育はその効果を挙げることができるものである。この優越的地位は、教育者の権威ということもできよう。被教育者が教育者の指示に従わず、その権威を無視することは、当該被教育者のみならず、集団教育の中においては、他の被教育者への教育効果をも損壊するものである。

5 原判決は、代替措置をとっても、教育秩序が維持できないとか、学校全体の運営に看過できない重大な支障を生ずるおそれがあったと認める証拠はないという。

しかし、支障の有無については、論理的な「おそれ」、即ち論理的に可能性があれば足りるものである。このことは、全農林事件(最高裁大昭和四八年四月二五日判決刑集二巻四号)、岩教組事件(最高裁大昭和五一年五月二一日判決刑集三〇巻五号)など、公務員の争議行為禁止の合憲性についての、多数最高裁判決の判示するところである。

6 また、学校教育は、集団教育であるから、少数学生に対する措置によって、大多数の学生に少しでも悪影響がある措置は、これを行うべきではないのであって、学校全体の運営に看過できない重大な支障がなければ代替措置をとるべきであるとする判断は、判断の誤りも著しいものがある。

三1 ひるがえって、被上告人ら多数のエホバの証人が神戸高専に入学した理由を考えてみる。

神戸高専においては、校舎新築前には施設の関係から体育の種目に格技の実技が存しなかったところから、他の公立高校に比し多数のエホバの証人が入学し、且つ概ね高等学校に相当する第三学年終了以後において、布教のためとの理由で中途退学をしていったのである。

被上告人は、このような過去の実例に徴し、被上告人入学年次からは、剣道実技が課されることを知りながら、何とかなるであろうとの安易な期待をもって、神戸高専に入学したものと解されるのである。もとよりそのような期待が、法的に保護されるべきものでないことは当然の法理である。

2 しかし、若し代替措置をとって剣道実技を免除した場合は、エホバの証人の情報交換によって、神戸高専には、さらに多数のエホバの証人の学生が増加するおそれが大である。

エホバの証人の学生は、格技の課されない学校及び格技が課されても代替措置の講ぜられる学校に偏在するであろうことは経験則上明らかである。そして、定時制高校等格技のない学校や代替措置を認める学校に、エホバの証人が偏在しているのである。

3 このようにして、代替措置を認めた場合には、エホバの証人という特定の宗教の信者が、特定の公立学校に多数在学することとなり、代替措置を受ける者が、学校の設定した教育課程である本来の種目を受ける者より多数となるなど、生徒規律や教育効果に悪影響を及ぼすおそれがあり、また教育の宗教的中立性を害する結果となるおそれもある。

原判決には、上告人の主張したこのような実際上の悪影響を無視した、判断の誤りがある。

第六 行政庁の行う懲戒処分の裁量性についての最高裁判例違反

一 原判決は、本件各処分が裁量権を逸脱し、違法であると結論する。しかし、右は行政庁の行う懲戒処分の裁量性とその司法審査のあり方についての、最高裁判例に反する判断である。

二 さきに最高裁判所は、京都府立医大事件において、学生に対する懲戒処分の裁量性について次のとおり判示した(最高裁三小昭和二八年(ア)第七四八号昭和二九年七月三〇日判決民集八巻七号)。

「大学の学生に対する懲戒処分は、教育施設としての大学の内部規律を維持し教育目的を達成するため認められる自律的作用にほかならない。そして、懲戒権者たる学長が学生の行為に対し懲戒処分を発動するに当り、その行為が懲戒に値するものであるかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかを決するについては、当該行為の軽重のほか、本人の性格及び平素の行状、右行為の他の学生に与える影響、懲戒処分の本人および他の学生におよぼす訓戒的効果等の諸般の要素を考量する必要があり、これらの点の判断は、学内の事情に通ぎょうし直接教育の衝に当るものの裁量に任すのでなければ、適切な結果を期することができないことは明らかである。それ故、学生の行為に対し、懲戒処分を発動するかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶかを決定することは、その決定が全く事実上の根拠に基かないと認められる場合であるか、もしくは社会観念上著しく妥当を欠き懲戒権者に任された裁量権の範囲を超えるものと認められる場合を除き、懲戒権者の裁量に任されているものと解するのが相当である。」

三 その後、下級審で裁量権逸脱の判断をした判決が多くなるや、最高裁は、神戸税関事件において、行政処分の司法審査のあり方につき、司法の謙抑の立場から、次のように判示して、裁量権逸脱の判断に枠をはめたのである(最高裁三小昭和四七年(行ツ)第五二号昭和五二年一二月二〇日判決民集三一巻七号)。

「公務員につき、国公法に定められた懲戒事由がある場合に、懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分を行うときにいかなる処分を選ぶかは、懲戒権者に任されているものと解すべきである。もとより、右の裁量は、恣意にわたることを得ないものであることは当然であるが、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきものである。」

四 原判決の裁量権逸脱の判断は、上告人が剣道実技の受講拒否をした場合、原審裁判所が上告人校長と同一の立場に立っていかなる措置をすべきであったかを判断し、その結果と本件処分とを比較して行ったものであって、裁量権逸脱についての最高裁の判例に違反するものである。

第七 まとめ

原判決は、本件各処分を信教の自由の制限として把え、代替措置をとらないことによる不利益と被上告人の本件処分という不利益を比較考量し、上告人が代替措置をとらないことを裁量権を逸脱し違法であるとする。

しかし、本件各処分を招致した直接の原因は、被上告人の自己の自由意思による学校選択と、自己の信教の自由に基づく剣道実技拒否にある。上告人は法令に基づく学校管理機関として、被上告人との間に設定された在学関係に基づいて、学内規定所定の処分をしたまでである。上告人は、被上告人の信教の自由に関与したことはなく、原判決の比較考量論は基本的に論旨を誤るとともに、在学関係の附合的法律関係たる性格を見誤っているものである。

また、原判決は、行政庁たる上告人に、法的根拠のない代替措置義務ありとし、憲法、教育基本法の定める、公教育の宗教的中立性や、公教育における平等取扱いについての、解釈を誤り、教育における権威の必要性に無理解で、集団教育における大多数の学生のための規律維持や教育効果についてこれを無視し、上告人の行った教育的配慮に一顧だに与えず、行政庁の懲戒処分の裁量性に関する最高裁判決に反して、裁判所が上告人と同一の立場に立って、どのような処分をすべきであったかを言うものであって、現在までの本件に関する多数の裁判所の判断と相異する、独自の判断をするものであって、その判断の違憲、違法の点は既に述べたとおりであるので、直ちに原判決を破棄し、本件各控訴を棄却されたい。

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